G.R.A.D.編で泣き崩れたお話(甘奈ちゃん編)

これが、”大崎甘奈の答え”

 

 

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※注意!

この記事はG.R.A.D.のネタバレを大いに含みます。視聴済みの方推奨です。

前回の甜花ちゃん編の続きにあたります。もしよろしければそちらから。

bota-ohagi.hatenablog.com

 

 

 

 

目次

1. はじめに

2. 本コミュのずるいところ

3. 明かされた本質と過去の行動の答え合わせ

4. 「知られたくない」を踏み抜いたプロデューサーの英断

5. 初恋の思い出を告白した真意とは?

6. シャニマスが見せてくれる極上のエンターテインメント

7. あとがき

 

 

 

 

1. はじめに

 

「甘奈ちゃん、今の部分なんだけどね アルストロメリアにいる時とは違う表情を見せてほしいの」

 

 開幕のトレーナーの一言で察する激重シナリオ。初手から全開でしんどくなる甘奈ちゃん編は、私がG.R.A.D.編でいちばん泣くことになった感動の物語でした。
 私自身、甜花ちゃん編よりも号泣するとは思ってもいなくて、コミュのしんどさと最後に泣きすぎたのとで体調がマッハで悪くなるレベルでした。シャニマスは天才です。ライターさんは天才です。本当に天才。ノーベル文学賞受賞してほしいほんとに。
 そんな甘奈ちゃん編の感想と考察(になってるかわからない)をただ駄弁ります。

 


2. 本コミュのずるいところ


●そもそもG.R.A.D.編のコンセプトが大崎姉妹にドストレートに刺さってしまう
 G.R.A.D.編はアイドルひとりひとりにフィーチャーされているお話です。W.I.N.G.編は駆け出しアイドルが輝き出すまでの過程、感謝祭編ではその成長を踏まえたうえでユニットとしての成長を描いていましたが、3年目のこのタイミングで再び独りきりで大舞台に臨むことになったわけです。
 大崎姉妹は(ノクチルを除いて)唯一アイドルになる前から関わりがあり(家族だから"関わりがあり"とかいう一言で片付けられないですが)、W.I.N.G.でも感謝祭でもシナリオイベントでも随所に互いを意識する場面が描かれてきました。さまざまな試練を乗り越えて良いも悪いも経験したうえで特大の壁にぶち当たる今回のストーリーは、その2年間の歩みと成長、葛藤が試される大一番だったのです。

 

●重過ぎるストーリーと劇的な成長
 始まる前から分かってはいたのですが、上記のように甘奈ちゃんのストーリーは相当ヤバイシナリオになることは目に見えていました。
 とはいえまさかプロローグからいきなり突いてくるとは思わず、シーズン1でもプロデューサーに悩みを言えなくてさらに悪い方向へ。
 シーズン2では有名ファッションブランドのモデルのオファーという、甘奈ちゃんにぴったりの素敵な仕事が舞い込みます。それにもかかわらず、

「(……甘奈、ちゃんと喜べてたかな)」

と本心は嬉しさより苦悩が占めており、さらには、

「……甘奈ってお洋服のこと、得意分野だったんだ」

と自分の強みさえ見失っているという状況。直前の、プロデューサーへの「めーっちゃ素敵なお仕事だよ!取ってきてくれてありがとう」「甘奈、しっかりお勉強します!」という明るそうな声色との乖離が激しすぎることが、事態の深刻さをより引き立てています(この場面観てるときは頭狂いそうになって抱え転げてました。ひたすらに心がしんどい)
 曇る甘奈ちゃんの笑顔。その救いの無さに胃を内側から掻き毟られるような苦しささえ感じられ、あまつさえその苦しみはシーズン3まで及びます。「これ……本当にどうなっちゃうんだろう」と物凄く不安になり、コミュを読み進めるのが怖くなるほど。


 しかし、プロデューサーが救いの手を差し伸べたことで状況が好転。甘奈ちゃんは本当の本当に本気で"今を楽しむ"ことが出来るようになり、悩みを克服しました。
 本戦直前のコミュ。甘奈ちゃんの心境の変化は著しく、心から笑顔で明るく話せるようになった彼女の姿はとても輝いて見えました。背後で流れる音楽はここでしか聴けないもので、かつてない緊張感と壮大さを演出し、ラストバトルを漂わせる素晴らしいもの。過去一で重かった経験を乗り越えて、2年間辿り着けなかった"大崎甘奈の答え"を掴もうとしている甘奈ちゃん。背景と音楽と、甘奈ちゃんの力強い決意に、涙が止まらなくなりました。
 これは完全に個人の感想になってしまうのですが、私は歌・曲問わず音楽がとても好きなので(自作のプレイリスト作って聴くだけで泣くくらい弱い)、BGMが強いともう涙腺がダメになります。そのエモいBGMの中、見てて気が狂いそうになるほど辛かった前半コミュを乗り越えて、笑顔を取り戻した甘奈ちゃんの声を聴いて、2年間の歩みが走馬灯のように脳裏を駆け巡って………気付けば、甜花ちゃんのとき以上に泣き伏してしまったのです。

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 辛かった分だけ、最後の成長が光る。その劇的なサクセスストーリーは、ずるいの一言に尽きます。シャニマスしか勝たん。

 

●過去のお話を全部持ってくる
 プロローグでは、W.I.N.G.編、感謝祭編、『薄桃色にこんがらがって』の印象的なシーンが突然回想として流れます。そのどれも、

「甜花ちゃんや千雪さんは成長して変わっているのに、自分は変われていない」
「今が楽しければ良い、今の幸せが続けば良い。変わることは望んでいない」
「だけど変わらないと、置いていかれてしまう」
というような、"今"と"未来"に関する甘奈ちゃんの葛藤を描いていることが共通しています。
 ここまでの歩み、特に『薄桃色』で色濃く見える甘奈ちゃんの心理は、「自分のせいでアルストロメリアが無くなってしまうことをひどく恐れている」ということだと私は考えていました。

 甜花ちゃんと千雪さんとずっと一緒に居たい。今が平和だから、何かを無理に変えようとせずに今のままを維持したい。だけど、ふたりと一緒にいるためには自分を変えていかなくちゃいけない。そうしないと、ふたりに置いていかれるし、自分が遅れていることでアルストロメリアが瓦解してしまう。

 そんな不安と焦りを、甘奈ちゃんは2年間ずっと抱き続けてきました。
 ここで個人シナリオだけでなくわざわざ『薄桃色』の内容まで引っ張ってくるということは、このG.R.A.D.編が単一のお話というわけではなく、甘奈ちゃんが2年間で経験したもの全て(ただしSSRエピソードは番外編的な扱い?)の決算にあたるのだということを示しているのではないでしょうか。それはつまり、甘奈ちゃんがずっと抱き続けてきた”変われない” ”変わらなきゃ”という葛藤に終止符を打つラストバトルにあたるのかもしれないのです。

 

 

3. 明かされた本質と過去の行動の答え合わせ

 

 シーズン1から3にかけて、甘奈ちゃんの心内が徐々に開示されていきます。

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「……いつも通り。いつも通り……悩んでるなんて、知られたくない……」
「だって、甘奈だけずっと、おんなじところで止まってる」


 シーズン1の序盤で重苦しい甘奈ちゃんの心情が描かれますがこのセリフ、よくよく考えると過去の行動の多くに当てはまってしまいます
 甘奈ちゃんは悩みをなかなか打ち明けない子です。W.I.N.G.編で甜花ちゃんが頑張っていることで自分の至らなさを感じつつ、プロデューサーに言えなかったこと。感謝祭編で"ハッピーエンド"が引っかかることを甜花ちゃんと千雪さんに言えなかったこと、自分だけ変われていないと自覚して苦しんだこと。そしてそのいずれも、異変を誰かに気付かれると咄嗟に隠してしまうことが共通しています。

 隠して、誤魔化して、気付いたときには自力で修正が出来ない状態に陥ってしまう。そして甘奈ちゃんは、どうにも出来ないことに申し訳なさを感じ、自責の念に駆られてしまうのでした。
 確かに今振り返ってみれば、甘奈ちゃんは様々な課題にぶつかったとき、プロデューサーや甜花ちゃん、千雪さんと力を合わせて解決することが出来ていました。その度に新しい解決法を知り、成長していったのは間違いありません。
 しかしながら、甘奈ちゃんのこの行動心理に対する答えは有耶無耶にされ続けてきました。「なぜ甘奈ちゃんの自己肯定感が低く、変化を恐れているのか」という問いへの解は憶測の域を出ず、私自身も考えようにもなかなか考えがまとまりませんでした。


 以前、甘奈ちゃんについて私は次のような考察をしていました。
「すごく優しい子で、周囲への気配りが細やかに出来る子。相手を想うあまり自分のせいで不幸にさせてしまったら居た堪れない気持ちになる。相手の悲しみまで背負ってしまうから肯定感が低く、自分の悩みを話すことで迷惑をかけてしまうから言えずに溜め込んでしまう」
 その考えは、ある意味では正解で、ある意味では大間違いだったのです。理由は後ほど。

 

 

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アルストロメリアじゃない甘奈なんて、わからないのに」
「できてるみたいに、進んでいっちゃう……」
 シーズン2コミュの言葉からは、周りに求められる水準をこなせても自分の評価が伴っていないことが伝わってきます。そのうえ、アルストロメリアじゃない"大崎甘奈"の価値がわからないと言う彼女にとっては、「自分は甜花ちゃんと千雪さんがいるから一緒に輝けるだけで、自分独りだけでは何も無い」とさえ考えてしまっているのかもしれないのです。
 予選終了直後の「……甘奈、勝てちゃったんだ……」という純粋に喜べていないセリフからも、"周囲からの評価は高いのにその理由がわからない""自分を肯定できる材料すらわからず自信が持てない"という点で先述した内容に合致します。自己肯定感の低さの原因は、シーズン3・4で語られた"甘奈の嫌なところ"にありました。

 

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 甘奈ちゃんが"嫌なところ"として挙げた彼女の本心は次のようにまとめられます。


出来ていないのに出来るフリをして、周囲の人の期待に応えてきた。本人はそれを「嘘をついてきた」と罪悪感を覚えている。


自分からアイドルをやると言い出したのにそれは甜花ちゃんのためでもあって、独りでお仕事をする覚悟が無い。だから今、アルストロメリアじゃない甘奈を求められていることに辛くなっている。


"器用貧乏"で、ちょっと頑張れば出来る範囲で立ち止まってばかりいた。死ぬ気で頑張って出来なかったときが怖くて、そういうことをやりたくなくて避けてきた。

 

 彼女の本質を、過去の事柄と照らし合わせて考えてみます。
 まずは、③で挙げた"器用貧乏"という側面について。感謝祭編での甘奈ちゃんの「楽しい今が続けば良い」「これ以上のことは望んでいない」という心情は、"少し頑張れば出来てしまうから、その状態を維持できれば良い"、"少し背伸びして失敗してしまったら甜花ちゃんたちに失望されてしまうかもしれない、だから変わる(次のステップへ進む)ことが怖い"という本音があったのではないでしょうか。
 後者に関しては①にも関連しています。甘奈ちゃんはこれまで周囲の期待に応え続けてきていて、そのような描写はG.R.A.D.編でもシーズン1で登場しています。"嫌われたくない""がっかりされたくない""しっかり者でいたい"、そんな危惧を、甘奈ちゃんはずっと抱えていたのではないでしょうか。
 先程、私は自分のかつての考察が合っていて大間違いであると話しました。「優しい子で、周囲への気配りが細やかに出来る子」という解釈は、まさしく周囲の人目線の甘奈ちゃんへのイメージなのです。「甘奈ちゃんが努力して得たイメージ」を持っている点では合っているのですが、甘奈ちゃんの本質を捉えられていないために間違いでもあるのです。結局のところ、『薄桃色』で甜花ちゃんについて考えを改めたように、甘奈ちゃんも本質を理解出来ていなかったのでした。

 

↓『薄桃色にこんがらがって』のときの駄文

bota-ohagi.hatenablog.com


 しかしながら、甘奈ちゃんのその振る舞いは、彼女の最大の長所でもあります。甘奈ちゃんは自分のために行動していたことを"悪"だと決め付けていますが、それは甘奈ちゃんが優しい人で、誰かを思いやることが出来る素敵な子だという証拠なのです。本当に優しい子じゃなかったら損得考えずに他人のために行動することなんて出来ないし、本当に真面目な子じゃなかったら周囲に求められる"甘奈"を維持し続けることなんて出来ません。
 そんな甘奈ちゃんの性格を形成した要因は間違いなく甜花ちゃんの存在でしょう。プロデューサーがシーズン3で話した「失敗したって、ずるくたって、嫌だなって思うんじゃなくて、支えたいと思う人がいる」という言葉、もちろんプロデューサーのことでもあるのですが、それを幼少期からずっと、図らずもその役割を担ってきたのが甜花ちゃんです。たくさん気配りをしてくれる甘奈ちゃんに感謝しつつ、その気配りを享受して、どんな甘奈ちゃんも受け入れて寄り添ってあげる。それはきっと本人も無意識だったのでしょう。

 甘奈ちゃんは、甜花ちゃんが自身の最大の理解者であるがゆえに、甜花ちゃんのことが大好きだからずっと一緒にいたいと思っていました。そして同時に、嫌われたくない、嫌な甘奈を見せたくない……そんな想いを秘め続け、気付けば無意識にそのような行動(周囲への気配り、周囲から求められる"甘奈"になる努力)が取れるようになっていたのです。良くも、悪くも。

 甜花ちゃんや周囲の人へ自然ととっていた受け身の姿勢、それはここまでの17年間の生活で染み付いた行動基準です。しかしそれは決して否定してはいけないのです。それが甘奈ちゃんの良さだからです。だから、「それを"悪"と捉えてしまう壁」を乗り越えることが、甘奈ちゃんにとっての試練だったのではないでしょうか。


 ②について考えてみます。感謝祭編や『薄桃色』での甘奈ちゃんは、「自分のせいでアルストロメリアが無くなってしまう、もしくは今までのようにいられなくなってしまう」ことを恐れているように私は感じました。その主な理由が、「甜花ちゃんや千雪さんは変わっていってるのに、自分はいつまでも変われないから」というものでした。

 「置いていかれる」「負けるのが怖い」という度々登場した"怖い"感情は、前述した①の「周囲を失望させてしまうかもしれない」、③にある「出来ないかもしれない」という心情に通じるものがあります。それでは、"アルストロメリアじゃない甘奈"の自信が持てなくなったのは何故でしょうか。
 思うに、甜花ちゃんと共通して、「自分より他人に意識が集中していたから」なのではないか、と私は考えました。周囲の評価で自分がちゃんと出来ていたことを実感出来て「大丈夫だったんだ」と安堵する、だけど自分の中の評価が伴っていなかったら「なんで大丈夫だったんだろう」と疑問に思ってしまう……それがわからないのは、他人に委ねた故に自己評価が形成できていないからであり、さらに自信と責任を持って臨めるまで打ち込んだことが無かったからでもあると思うのです。

 これまで甘奈ちゃんは、『アルストロメリア』という最も近しい存在に囲まれた環境に身を置くことで、自分も輝けていると実感することが出来ていました。しかし、最愛の拠り所が無いG.R.A.D.編では、これまでも自分の価値を把握できていなかったうえに価値を自覚させてくれていた人もいません。甜花ちゃんと千雪さんが大好きで、ふたりは"先に進んでいる"と感じている甘奈ちゃんは、ある意味で"自分は出来ていない"と感じつつ、アルストロメリアの中にいれば大丈夫だと自分に言い聞かせていたのではないでしょうか。それで、アルストロメリアから離れて独りになった今、その"自分は出来ていない"という感情だけが取り残されてしまい、自分がわからなくなってしまったのではないか……と。

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 だけど甘奈ちゃんは、プロデューサーに本音を吐露し、プロデューサーの「受け止めてみせるよ」という言葉に安心して、素直になることが出来ました。それによって死ぬ気で頑張ることへの怖さを低減でき、打ち込めるように成長したのです。そして、今まで受け身で居続けた甜花ちゃんと千雪さんへの感情に、「ふたりに負けないような自分だけの魅力を持つすごいアイドルになる」という決意が付加されました。
 ここで注目したいのが、この感情に至るまで、"今までの甘奈ちゃんを否定していない"という点です。自分の行いを"嫌なところ"と捉えてしまうことを殺さずに、認めたのです。そして、自分を受け入れてくれる人の存在を確かめられたから、恐れずに行動できるようになったのです。
 私は、これを"変化"というよりも、"昇華"という表現の方が近いと思えました。もちろん変わったことは間違いなく、その点では「アルストロメリアの甘奈」の成長に充分寄与したといえます。その上で、「甘奈、今をサイコーに楽しんでくる☆」と言えるようになったのは、"ずっと続けば良い今"ではなく、"これから変わっていく過程の今"を楽しめるようになったという意味での"昇華"なのではないでしょうか。

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 "昇華"という見方について、甜花ちゃんのG.R.A.D.編も同じようなことが言えるのではないか、と考えます。
 甜花ちゃんはたしかに成長しましたが、「誰かに頼らなくても自分一人で出来るようになった」という"変化"と捉えるのは、少し違う気がします。応援されることを糧として、色んな人の力を借りながらアイドルに向き合っていく。その根本は変わっていなくて、そのうえで"やりきること"が出来るようになったのです。「甜花はダメだから」と無意識にかけていたセーブを外して自信を持てるようになった、あるいは自信を持つためのプロセスを知ることができたという成長は、これまでの甜花ちゃんらしさ(identity)を残しつつも次のステップへ進めたという意味での"昇華"と表現できるのでは、と思います。


 大崎姉妹にとって、G.R.A.D.編のそれぞれの試練は、「甜花ちゃんらしさ」「甘奈ちゃんらしさ」を大切にしつつ、それを認めてそのままに、さらに成長を遂げることが出来た"昇華"の物語であると、私は考えています。

 

 


4. 「知られたくない」を踏み抜いたプロデューサーの英断

 今回甘奈ちゃんがプロデューサーに悩みを言い出せなかったのは、「自分が前に進んでいる、成長しているという証明を作りたかった」からです。先述したように、「甜花ちゃんや千雪さんがどんどん変わっていって成長しているのに、同じところで止まってる自分は置いていかれる」という焦燥を、甘奈ちゃんは常に抱え続けてきました。

 これまではみんなの力を借りて一緒に困難を乗り越えてきましたが、今回は否が応でも独りきり。逆に言えば、これを自力で乗り越えれば「自分も変われている」と実感できる絶好のチャンスだったわけです。だから、プロデューサーに嫌な面を見せたくないという感情のほかにも、自力でなんとかして甜花ちゃんたちに追いつき、変化を実感したいという焦りの感情があったのではないでしょうか?


 甘奈ちゃんは先述の感情も相まって、プロデューサーにあからさまな予防線を張ります。本心を気づかれてしまったら「実は甘奈は出来ない子だった」と思われてしまって、成長を証明することができなくなってしまうからです。会話の雰囲気でおおよそ気付かれていることも理解しているため「これ以上踏み込んでこないでほしい」と考えてしまいます。それはプロデューサーも分かってしまっていて、聞くか聞かないべきか悩んだまま時間が進んでいきます。

 

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 しかしながら、予選直前の甘奈ちゃんの独り言を偶然耳にしたことで彼女の深刻さを知り、「話したくない」という拒絶をすり抜けて甘奈ちゃんの本心を引き出しました。「そんな言い方、ずるいよ」と言わせるあたり、普段のプロデューサーに似つかわしくないやや強引なやり方だったのは明白ですが、ここで甘奈ちゃんに差し伸べた救いの手を取ってもらえなかったら、彼女はBADエンドルート直行です。誰からの助けも受けずに悶々としたまま本番に臨んでグランプリに輝けず、それどころかアイドルとしての活動に疑問を覚えてしまい、取り返しのつかないことになってしまっていたかもしれません。

 リスクを冒してでも拒絶の一線を踏み抜けたのは、2年を経てプロデューサーと甘奈ちゃんとの間に充分な信頼関係が築けていたからに他なりません。その判断力とここまでの積み重ねは、間違いなくプロデューサーの手腕が見事なものであったことを証明しているのです。

 


5. 初恋の思い出を告白した真意とは?

 

 おそらく誰もが驚いたであろう、エピローグでの甘奈ちゃんの暴露。あれだけ泣かせておいて最後に何を言われてまた泣くんだろうとばかり身構えていたところ、飛び込んで来たのは予想だにしなかった昔話でした。

 

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「甘奈の初恋ね、幼稚園の頃だったの」

 

 その微笑ましい内容は直前までの号泣ストーリーとかけ離れていて(もちろんこれはこれで素敵なお話だからグッと来てるので全然OKなんですが)、プロデューサー宜しく「どうして教えてくれたんだ?」という気持ちになります。

 直感的に脳死で考えたら、「甘奈ちゃんはプロデューサーのことを……」となってしまうのも無理はありません。もちろんそれはそれでひとつのカタチだと思うので否定はしませんが、私なりに少しだけ考えてみました。


 ここまで書き連ねてきたように、甘奈ちゃんは悩みをなかなか打ち明けられない子でした。それは、伝えることで嫌われてしまうことを恐れていたからで、ありのままを曝け出すことが怖かったからという面も考えられます。ですが今回を機に、プロデューサーへの信頼がさらに増し、"嫌われないようにメイキングした甘奈"ではなく"そのままの甘奈"を見せても良いんだ、という気持ちに落ち着いたのではないでしょうか?

 

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 "そのままの甘奈"を受け入れてくれる、認めてくれる。だから安心して委ねられる。

 そこまでの信頼に至れたのは、きっと甜花ちゃん以外では初めてだったのでしょう。(千雪さんは現時点では断定できませんが、既に同程度の立場として信頼しているはずです)
大切な昔話を教えたのは、「これからも"そのままの甘奈"を見せられるし、理解者であるプロデューサーにもっと知ってもらって、より親密に支え合えるようになりたいから」という思いがあったからなのではないでしょうか。甘奈ちゃんが目指しているのは、まるで家族のような相互の厚い信頼関係なのかもしれません。

 

 

6. シャニマスが見せてくれる極上のエンターテインメント

 

 初恋の話を聞いたとき、ふと思い浮かんだものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 アイマスの他シリーズもまあまあ触っている私ですが、ここまではっきりと「恋をしている(恋をした)」と言及したアイドルは私の記憶の中ではいませんでした(あるいは私が無知なだけです。すでに話してる子いたらごめんなさい、お知らせいただければすぐ修正します)。
 シャニマスって、本当に"アイドルのすべて"を見せてくれるんだ"、って改めてしみじみ思いました。等身大の女の子を、ありのままを見せてくれる。それも、手放しで信用できるくらい重厚で素敵な物語を紡いでいるうえでやってくれるから、プレイヤーからすれば安心して享受できる。G.R.A.D.編でも、その子の本質に問いかけるような、あるいはマッチポンプの如く疑問をぶつけるような(ちょこ先輩の例が顕著)、描写するのを躊躇うほどのド深層の感情まで全部見せてくれるんです。


 そして、私、もといプレイヤーはゲーム内のプロデューサーにはなれないという点も、シャニマスだからこそ出来る切り口なのかなと実感しました。初恋の話を聞いた時、それが向けられているのは自分ではなく"ゲーム内の"プロデューサーである、と。
 このゲームは(他のもそうかもしれませんが)、ゲーム内のプロデューサーに明確なキャラクター性が用意されています。最もわかりやすい例が透さんとのお話で、かつてプロデューサーは透さんに出会っているということ。もちろんプレイヤーは幼少期のボクっ娘透さんに出会ってなどいませんし、さらに言えば学生の頃に寒い寒いと文句言いつつコンビニの前に仲間とたむろっていたこと(トロイメライ)も、白コートを好んで着ていること(白・白・白・祈)もありません。高身長イケメンにもなれません。
 アイドルが信頼しているのはプレイヤーではなく、"ゲーム内のプロデューサー"。プレイヤーが疑似プロデューサー体験をしているのではなく、アイドルがプレイヤー(プレイヤーの意思を投影したプロデューサー)を意識しているわけでもないのです。そこにあるのはプレイヤーを介さずに成り立っている信頼関係で、プレイヤーはそれを第三者の目線から俯瞰しているに過ぎない、言わば"天の声"なのです。
 だからこそシャニマスは、ソーシャルゲームという形式を執りながらひとつの物語・作品として綴じることができ、読み物(文学)としても楽しむことができる……そんな気がするのです。


 もちろんプロデュースゲームだから、自分が○○のプロデューサーだと自負することもできます。私はあくまで、さまざまな楽しみ方ができるとだけお話ししたいのです。
 ただ、そういう目線で見てみると、甘奈ちゃんがプロデューサーに告白の話を伝えたことが「互いの信頼関係がより深いことをプレイヤーに再確認させるため」という面にも取れるな、と感じたということです。

 そういうのを全部観て、アイドルやこのゲーム自体を心の底から応援したくなりました。いえ、この2年間もずっと応援していましたが、その思いがより一層強くなりました。文字通り"アイドルのすべて"を、成長の軌跡を紡ぎ続けるこのコンテンツを、ずっとずっと応援したい。大崎姉妹の"幸せ"を、これからも見届けたいと、強く願っています。

 

 

 

 

 

7. 需要の無いあとがき

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 長い。長すぎる。

 

 そう思われた方はごめんなさい。自分でもそう思います。限界感情垂れ流してたら1万字超してました。

 でも、今回のお話は本ッッッッッッッッッッッ当に良い話だったんです……。『薄桃色にこんがらがって』の時も大泣きしてましたけど、今回もやっぱり泣かされてしまいました。アルストロメリアってすごい。大崎姉妹って本当にすごい。

 先ほどもお話したように、G.R.A.D.編で甜花ちゃんも甘奈ちゃんも、ふたりとも2年間の課題に対する"答え"を見つけることができ、今まででいちばん大きく成長しました。ひとりひとりでも充分強くなったふたりが、これから先どんな物語を見せてくれるのか。私は楽しみで仕方ありません。

 

 

 昨今の事情もあり、楽しみがほとんど無い中、娯楽と大きな感動を与えてくれるシャニマスには感謝の念が尽きません。

 本当にありがとう、シャニマス。これからもずっとずっと、応援しています。

 

 

ボタ餅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s. でも甘奈ちゃんの一番は甜花ちゃんだから甘奈ちゃんと甜花ちゃんが結婚してほしい(過激派)